天然ふーふ
持続可能な自給自足的暮らしを求めて、東京から瀬戸内海沿岸に移住(いわゆるIターン?)した我が家(または僕)の生活や思いを綴るブログ。3.11の地震による原発事故後、これまで自分たちが送ってきた生活のあり方を考え直して移住を決意。移住後は、これまでの文明的な生活は否定せずとも、できるだけ電力会社や石油エネルギーに「依存」することから脱却し、持続可能な社会やコミュニティ、生活を作ることを目指す。もちろん原発は必要ないと思う。現在、冷蔵庫なしで低電力生活中。月の電気代は500円ほど。
2012
September 14
September 14
きのう観た映画「カンタ!ティモール」@尾道ハライソ珈琲。
東南アジアの東ティモールが
独立するまでの虐げられ、殺りく(さらに、女性は犯された)が繰り返された24年間と、それでも失われなかった自然、大地とのきずな。
自主上映で広がっていってるこの作品、いわゆる映画館とは違い、開いたひと、集まったひとたちとの距離感が近いなかで観れたことが、まずすごくよかった。
感想を初めて会ったひとからも聞けて、じぶんとはまるで違う視点だったりして、さらにじぶんの想いとあいまって言葉にならない言葉が増殖し、体内をめぐる…それはすごくいい時間だった。
やっぱり世界で起こる侵略や戦争は大義名分がどうあれ、限りある石油などの資源を奪い合うためのものなのだと、ここでも実感した。(尖閣諸島や竹島もホンネはそっちだ)。
それに積極的に加担している狂った日本。
それでも、どんなに虐げられても人から奪えないものというのがある。
ある日、侵略の手が伸びるまでの東ティモールは人と自然と大地がしっかりと結びつき、歌声があふれる豊かな国だったのだろう。
だから、殺人や武力を行使することなく独立までの道を成しとげられたのではないか。
殺されても、殺さない。
相手の兵士にするのは説得のみ。
親が殺された子は残されたおとながみんなで育て、働いて学費を工面する。
そんな環境だったら、親や兄弟を失った悲しみは生涯消えることはなくても、また未来を信じることができそうな気がする。
そんなこと、自然も人びとも分断され、結びつきは失われて久しい日本に生きていると驚異的だと感じてしまう。
言うは易しだけど、報復はしないなど通らないのが現状だろう。
自然は大事にしたいけど不便な生活なんて面倒なことはできない、余裕のない人が大半だろう。
けど震災と原発事故を目のあたりにして、いまわたしが求めていることはやっぱりそれだ。
自然と切り離されて生きることは…無理なのだ。
それをつづけたらあらゆるものの子どもは育たないし地球は終わる。
取り戻せるかは、正直わからない。
タイムリミットにギリギリ間に合わないかもしれない。
気づく人が増え、変わる前に日本は世界は金、金、金に突っ走りつづけ、放射能をはじめとする環境汚染は蔓延しつづけ、終わっちゃうのかもしれない。
けど、じぶんのなかにある可能性を捨てることができない。
捨てて知らなかったフリとか、人間をやめることができない。
人間は罪深い。
原発つくったのも戦争するのも
金に狂うのも人間。
私もその人間で、過ちに気づき変えられるのも人間しかいない。
分断するのではなく、過ちをゆるせる人でありたい。
そう、東ティモールの人びとみたいに…。
人はゆるせる生きものだ。
そして一緒に世界をつくりたい。
キレイごとかもしれないけど
憎しみや争いに心を燃やすのは嫌だ。
それが巧妙に争いを仕掛けてくる者の手だし、分断の素だ。
ようは、あんまり命をナメんなよ、である。
公式HP
http://www.canta-timor.com/index.html
ゆき(妻)
東南アジアの東ティモールが
独立するまでの虐げられ、殺りく(さらに、女性は犯された)が繰り返された24年間と、それでも失われなかった自然、大地とのきずな。
自主上映で広がっていってるこの作品、いわゆる映画館とは違い、開いたひと、集まったひとたちとの距離感が近いなかで観れたことが、まずすごくよかった。
感想を初めて会ったひとからも聞けて、じぶんとはまるで違う視点だったりして、さらにじぶんの想いとあいまって言葉にならない言葉が増殖し、体内をめぐる…それはすごくいい時間だった。
やっぱり世界で起こる侵略や戦争は大義名分がどうあれ、限りある石油などの資源を奪い合うためのものなのだと、ここでも実感した。(尖閣諸島や竹島もホンネはそっちだ)。
それに積極的に加担している狂った日本。
それでも、どんなに虐げられても人から奪えないものというのがある。
ある日、侵略の手が伸びるまでの東ティモールは人と自然と大地がしっかりと結びつき、歌声があふれる豊かな国だったのだろう。
だから、殺人や武力を行使することなく独立までの道を成しとげられたのではないか。
殺されても、殺さない。
相手の兵士にするのは説得のみ。
親が殺された子は残されたおとながみんなで育て、働いて学費を工面する。
そんな環境だったら、親や兄弟を失った悲しみは生涯消えることはなくても、また未来を信じることができそうな気がする。
そんなこと、自然も人びとも分断され、結びつきは失われて久しい日本に生きていると驚異的だと感じてしまう。
言うは易しだけど、報復はしないなど通らないのが現状だろう。
自然は大事にしたいけど不便な生活なんて面倒なことはできない、余裕のない人が大半だろう。
けど震災と原発事故を目のあたりにして、いまわたしが求めていることはやっぱりそれだ。
自然と切り離されて生きることは…無理なのだ。
それをつづけたらあらゆるものの子どもは育たないし地球は終わる。
取り戻せるかは、正直わからない。
タイムリミットにギリギリ間に合わないかもしれない。
気づく人が増え、変わる前に日本は世界は金、金、金に突っ走りつづけ、放射能をはじめとする環境汚染は蔓延しつづけ、終わっちゃうのかもしれない。
けど、じぶんのなかにある可能性を捨てることができない。
捨てて知らなかったフリとか、人間をやめることができない。
人間は罪深い。
原発つくったのも戦争するのも
金に狂うのも人間。
私もその人間で、過ちに気づき変えられるのも人間しかいない。
分断するのではなく、過ちをゆるせる人でありたい。
そう、東ティモールの人びとみたいに…。
人はゆるせる生きものだ。
そして一緒に世界をつくりたい。
キレイごとかもしれないけど
憎しみや争いに心を燃やすのは嫌だ。
それが巧妙に争いを仕掛けてくる者の手だし、分断の素だ。
ようは、あんまり命をナメんなよ、である。
公式HP
http://www.canta-timor.com/index.html
ゆき(妻)
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