忍者ブログ

天然ふーふ

持続可能な自給自足的暮らしを求めて、東京から瀬戸内海沿岸に移住(いわゆるIターン?)した我が家(または僕)の生活や思いを綴るブログ。3.11の地震による原発事故後、これまで自分たちが送ってきた生活のあり方を考え直して移住を決意。移住後は、これまでの文明的な生活は否定せずとも、できるだけ電力会社や石油エネルギーに「依存」することから脱却し、持続可能な社会やコミュニティ、生活を作ることを目指す。もちろん原発は必要ないと思う。現在、冷蔵庫なしで低電力生活中。月の電気代は500円ほど。

  • « 2025.07. 
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  •  »
2025 
July 07
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2012 
August 28
28日夜出発の夜行バスで尾道に着きました。これからは、これまでに経験したことのないような長い旅になります。


山手線ともしばらくお別れです。

長期の旅といえば、約11年前に日本を離れて1年ちょっとカナダとアメリカで暮らしましたが、今回は妻がいるということが大きく異なる点でとても重要です。期間や滞在方法から言うと一般的に今回の行動は「移住」ですが、自分としては「旅」と認識しています。ただ、旅だとしても今後の人生を左右するかなり大きな決断であることは間違いないです。なので、今後のために考えたことや経緯を少し書いてみます。

【東京でアイデンティティ形成】
ここ20年ぐらい、僕は東京で自分のアイデンティティを形成してきたと思います。埼玉県育ちで10~20代はずっと東京に憧れていて、大学、就職先、住む場所など自ら好んで東京を選んで生きてきました。

【東京が優れている点】
東京にはいろんなモノがあるし、おいしい食べ物もいろんな場所から集まってくるし、サービスの質や便利さもレベル高いんじゃないかと思います。

【憧れの対象はなに?】
では、果たしてそういった物質的な豊かさや利便性、サービスの高品質さに憧れていたのかというと、そうではないと思います。正直なところ、具体的に「東京のこんなところが好き」などということはすぐに出てはきません。

【憧れの「東京」よりも】
客観的に語られる東京よりも、僕は東京の友人や、縁あった場所の独特の風景や雰囲気が好きです。自分のアイデンティティはそういったものの中に形成されてきたのだと思います。

【違和感を感じていたもの】
でも、アイデンティティが形成される一方で、東京の中に自分と相容れないものがあったことも事実です。相容れないというか、なんとなく違和感を感じながら受容しているような価値観。たとえば、大規模な会社の組織運営システムや世の中のヒエラルキー的な構造。そして若者がみんな東京に出ることを目指すような、東京至上主義のような価値観です。東京に憧れていた僕が言うのもなんですが、だんだん東京至上主義がイヤになりました。

【大きなものを動かすこと】
大組織やヒエラルキーが東京を特徴づけているというわけではないかもしれませんが、僕自身は東京にいて自然と、大きなシステムをスムーズに動かすことがある意味「正義」であるかのような感覚を抱くようになっていました。また、それに従わなければいけないという脅迫観念のようなものもありました。

【少数派の排除、自分自身の疎外】
大きなものを動かすために、知らないうちに個人の特性や独特のあり方が疎外されるということ。決して好ましくないことですが、全体の都合のような大義名分でしばしば強行的に少数派の排除が行われることがあります。僕は東京で暮らすために自分自身を疎外してしまっていたかもしれません。自分の中の少数派的な考え方や感じ方は、少なくとも仕事の中では、そして私生活でも少し押し殺すようになっていました。

【原発事故】
東京での暮らしについて悶々とする中、2011年3月の地震、津波に続く原発の事故が起きました。当初僕自身はほとんど何も感じていませんでしたが、自分の周囲で事故後の放射能被害を危ぶむ声が多くありました。妻もそうでした。なので放射能や原発のことについて調べてみましたが、安全性については何が正しいのかはっきり分かりません。政府は昨年末に収束宣言のような発表をしましたが、それもあまりあてになりません。そしてやがてメディアから放射能汚染に関する報道も減ってきて、周囲でも話題にする人が減ってきました。

【収束して安全になった…?】
尾道に引っ越すまで2ヵ月ほど滞在していた埼玉県北本市の土壌は市の発表によると平均50ベクレルぐらいの放射能レベル。周囲は「関東地方はもう大丈夫だろう」というような意見の人が多いのですが、汚染レベルは実はあまり事故当時と変わっていないと僕は思います。僕としては変わっていないのに大丈夫だと思う理由はありません。「細かいことを気にしすぎて神経をすり減らすほうが身体に毒」という人もいますが、放射能を摂取し続けることで子や孫にまで影響が出る可能性があるという説もあり、やはり大丈夫とは思えません。

【地方から搾取する東京】
東京で使う電力を供給するために地方で危険な原子力発電所を動かしているという事実。僕は今回の事故が起こるまでそんなことはまったく意識していませんでした。

【自分の生活を見直したい】
東京で、今の自分の生活が楽しいかと問われたら、僕は素直に楽しいと答えることができないような状態が何年か続いていました。特に仕事面では。何のために働いているかの意味を見失っていた気がします。「仕事にそんな多くを求めるなよ。そこそこの企業でそこそこの給料もらえてて休日も週に二日ちゃんとあったら何も言うことないじゃない」という意見も多々あるし、僕も数年はそういう考えに逆らわず生きてきました。でも、そんな自分のような人間の面白くない生活を支えるために地方が犠牲にされてさらに原発事故でヘタしたら今後何百年も人が住めない土地になるということを考えると、今の生活は変えたほうがいいだろうという結論に達しました。

【まとめ】
長くなってしまいましたが、だいたい以下のような経緯で今回の結論に至りました。

1.「東京がよい」とする価値観が支配的になりすぎていると思っていた
2.東京での生活や価値観が自分という人間とマッチしていないのではないかと感じていた
3.地震、津波、原発事故が起きた
4.東京が地方に危険を押し付けてエネルギーを得ていたことに落胆した
5.自分の生活を見直してみる必要があると感じた

結局、上記「3」原発事故より1年以上経ってからの決断となりましたが、それはもともと判断が素早くなくどちらかというと世の中に甘えて生きてきたタイプの人間だったからすぐに行動できなかったのだと思います。原発から出る放射能の影響を意識するようになったのは最近1年ぐらいのことだし、国の体制や世間の仕組みが自分たちの生活にどんな影響を与えているかを実感を持って考えはじめたのも最近だし。ただ、ゆっくりでも自分なりに見つけた方向に向かって進んでみることで、合っていないことを我慢して続けるより意味が感じられる人生を送れるのではないかと思っています。そして、将来後悔したり不都合が起こったりしても、自分の人生には自分で責任を持つように心がけたいと思います。
PR
Comment
Name
Title
Mail
URL
Color
Comment
pass: emoji:Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
初めまして。
今日初めてブログを拝見させていただきました。

私も来年1月に東京から尾道へ移住をします。
ブログの更新を楽しみにしていますね!
アムロ: 2012.09/09(Sun) 18:06 Edit
Re:初めまして。
アムロさん

はじめまして。読んでいただいてありがとうございます。コメントいただけてうれしいです。

尾道は意外と狭い感じがするので、移住されてきたらきっとお会いできるかと思います。

何かあった際はなるべくブログ更新するようにしますので、参考までご覧いただければ。

どうぞ、よろしくお願いいたします。



>今日初めてブログを拝見させていただきました。
>
>私も来年1月に東京から尾道へ移住をします。
>ブログの更新を楽しみにしていますね!
2012/09/10(Mon) 12:19
[38] [37] [36] [35] [33] [32] [31] [30] [29] [27] [28
ブログ内検索
カレンダー
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

Powered by Ninja.blog * TemplateDesign by TMP

忍者ブログ[PR]