天然ふーふ
持続可能な自給自足的暮らしを求めて、東京から瀬戸内海沿岸に移住(いわゆるIターン?)した我が家(または僕)の生活や思いを綴るブログ。3.11の地震による原発事故後、これまで自分たちが送ってきた生活のあり方を考え直して移住を決意。移住後は、これまでの文明的な生活は否定せずとも、できるだけ電力会社や石油エネルギーに「依存」することから脱却し、持続可能な社会やコミュニティ、生活を作ることを目指す。もちろん原発は必要ないと思う。現在、冷蔵庫なしで低電力生活中。月の電気代は500円ほど。
2016
March 11
March 11
今年も3月11日がやってきた。
今住んでいる場所に移るきっかけになった出来事が起こった日付。
もはや世間では原発事故のことなどは当時ほど危機感がなく、
(放射能はけっこうやばい量、漏れ続けていると思うけど)
僕自身も地震の日の記憶がおぼろげになってきている。
せめて、今感じていること、頭の中で整理したことを
軽く半年ぐらいは更新してないブログで書き記してみます。
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僕が今住んでいる町は小さい。
大きな商業施設に行くには隣町まで行き、
逆に自然に触れたい時も別の田舎町まで行く。
必要なものは遠出しなくても事足りるし、
それほど大金を払わなくても生活できる。
だけど僕が言いたいのは
「小さい町でもなんとか生きていける」ということではなく、
こっちでの暮らしがけっこう楽しいということだ。
給料はかなり減った。同じ仕事をしてるわけじゃないから、
純粋な比較になるわけじゃないけど。
シーズンごとに新しい服を買うことも
そんなにしなくなった(ちょっとはするけど)。
「ネットで話題のあの店」に行くことも少なくなった。
新しい服よりも古着を買うことの方が多くなった。
食べログの点数より友だちに聞いた情報を参考にするようになった。
古いモノを好んで使ったりするようになった。
きれいな新築じゃなく、古い空き家に住むのを好むようになった。
そんな貧乏暮らしが、なぜ楽しいのか。
いや、貧乏だから楽しいわけではないんだろうな。
むしろお金は昔と変わらずほしい。いくらでも。
ただ、お金をたくさん払うことで豊かな生活を得ようというんじゃなくて、
野菜を育てたり、ストーブを作ったり、家を補修したり、
自分でいろんなことをしながら豊かな生活を作っていきたいと思っている、
という点が以前と違う。
東京ではそのように生きていこうとは思っていなかった。
そういう希望は心のどこかにあったのだろうけど、
それよりも「世間の常識」のようなモノに重きを置いていた。
今は世間の常識を否定しているわけではないけど、
必ずしも常識に従う必要はないと思っている。
世間と自分とでうまく折り合いがつけられるよう、
従える常識と従えない常識は自分で判断したい。
世界は自分だけのモノじゃない、
だけど自分が生きる世界の何割かは自分のモノだ。
だから、世間に合わせる時もあれば、自分勝手な時もあったり、
という感じでいきたい。
お人よしで流されやすく、かつ、内面的にはわがままな僕にとって
今の環境が合っている気がするので、しばらく今の暮らしを続けたいと思います。
2016.3.11
今住んでいる場所に移るきっかけになった出来事が起こった日付。
もはや世間では原発事故のことなどは当時ほど危機感がなく、
(放射能はけっこうやばい量、漏れ続けていると思うけど)
僕自身も地震の日の記憶がおぼろげになってきている。
せめて、今感じていること、頭の中で整理したことを
軽く半年ぐらいは更新してないブログで書き記してみます。
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僕が今住んでいる町は小さい。
大きな商業施設に行くには隣町まで行き、
逆に自然に触れたい時も別の田舎町まで行く。
必要なものは遠出しなくても事足りるし、
それほど大金を払わなくても生活できる。
だけど僕が言いたいのは
「小さい町でもなんとか生きていける」ということではなく、
こっちでの暮らしがけっこう楽しいということだ。
給料はかなり減った。同じ仕事をしてるわけじゃないから、
純粋な比較になるわけじゃないけど。
シーズンごとに新しい服を買うことも
そんなにしなくなった(ちょっとはするけど)。
「ネットで話題のあの店」に行くことも少なくなった。
新しい服よりも古着を買うことの方が多くなった。
食べログの点数より友だちに聞いた情報を参考にするようになった。
古いモノを好んで使ったりするようになった。
きれいな新築じゃなく、古い空き家に住むのを好むようになった。
そんな貧乏暮らしが、なぜ楽しいのか。
いや、貧乏だから楽しいわけではないんだろうな。
むしろお金は昔と変わらずほしい。いくらでも。
ただ、お金をたくさん払うことで豊かな生活を得ようというんじゃなくて、
野菜を育てたり、ストーブを作ったり、家を補修したり、
自分でいろんなことをしながら豊かな生活を作っていきたいと思っている、
という点が以前と違う。
東京ではそのように生きていこうとは思っていなかった。
そういう希望は心のどこかにあったのだろうけど、
それよりも「世間の常識」のようなモノに重きを置いていた。
今は世間の常識を否定しているわけではないけど、
必ずしも常識に従う必要はないと思っている。
世間と自分とでうまく折り合いがつけられるよう、
従える常識と従えない常識は自分で判断したい。
世界は自分だけのモノじゃない、
だけど自分が生きる世界の何割かは自分のモノだ。
だから、世間に合わせる時もあれば、自分勝手な時もあったり、
という感じでいきたい。
お人よしで流されやすく、かつ、内面的にはわがままな僕にとって
今の環境が合っている気がするので、しばらく今の暮らしを続けたいと思います。
2016.3.11
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